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偏差値70 センバツ勝利の背景

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大会史上最大ブランクとなる82年ぶりの出場を果たした21世紀枠の松山東(愛媛)が二松学舎大付(東京)に5―4で競り勝ち。ともに明治の文豪、夏目漱石にゆかりのある古豪対決を制し、春初勝利を挙げた。チームは16三振を喫しながら、安打が出た回に全5得点をマーク。エース亀岡優樹投手(3年)が8安打4失点で完投。打っても3打点で歴史的勝利に貢献した。愛媛勢の2校突破は、1931年以来、84年ぶり。

 123年の歴史に新たな一ページを加えた。積み重ねた三振は毎回の16。それでも、センバツで初めて校歌を聞いた。寿司詰めの三塁側アルプススタンドからは万雷の拍手。最後までマウンドを守ったエース亀岡は「82年の歴史を背負わないといけないと思った」と白い歯をのぞかせた。

 歴史的勝利に導いたのは、京大志望で控え外野手の向井飛雄(2年)が班長を務める「データ班」だ。昨年夏に本格的に活動を開始。対戦が予想される学校の試合をビデオ撮影し、分析結果を試合当日の朝に部員に伝えてきた。出場が決まると、後援会などの支援でスピードガンなどを購入し組織強化。二松学舎大付の「丸裸」情報は試合前夜にも改訂され、最新情報が盛り込まれた。この日もデータに合わせて守備位置を変更。ハイライトは4―4の7回1死一塁だ。データ班から「けん制は2球連続でこない」と報告を受けた清水が果敢に走って二盗に成功。酒井の左前適時打で決勝のホームを踏んだ。

 文武両道のチームは甲子園入りしてから100問の漢字テストを実施。最高点の86点だったのが向井だった。この日の相手打順もズバリ的中。米田主将も「予想オーダーが全て当たっていたことに、みんなビックリしている」と目を丸くし、石山は「頭を使わないと、実力では劣る」と笑った。

 文科省から「スーパーグローバルハイスクール」に指定される県屈指の進学校で、野球部は1892年に創設され県内最古を誇る。松山商と一時統合していた時代の1950年に夏の大会を制した古豪だが、練習環境は恵まれていない。規則で午後7時には完全下校が定められ、他部と共有するグラウンドは内野しか使えない日もある。打撃練習では、ホームからマウンドの方向へ投げられるボールをバックネットに向かって打ち続けた。ハンディキャップをはね返し、昨夏、秋の愛媛大会で準優勝。その力を82年ぶりの舞台で示した。

 長い空白を経て、再び輝いた伝統校。鳴りやまないスタンドの歓声と拍手を背にした米田主将は、「先輩と肩を並べるにはまだまだ。まずは一つだけ近づいた」と冷静に先を見据えた。

 ≪ともに漱石に縁≫松山東と二松学舎大付はともに文豪・夏目漱石に縁がある。漱石は二松学舎大付の前身である「漢学塾二松学舎」で学び、後に松山東の前身である旧制松山中学で教べんを執った。この体験を基に小説「坊っちゃん」が書かれた。
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